山麓にて

お兄さんチームと全力疾走の少年たち。移行先はプロフみてね!きっと大丈夫!

私が見ているのは彼らの一部であり、あなたが見ているのは私の一部

 

 

 

7月になった。朝、布団にくるまりながらぼんやりと思いを馳せたのは、水色の衣裳を着て汗を流す、あのふたりだった。

何を話そうかなってなったときに、真っ先に思い浮かべるふたり、たち。

 

すごく、心に溝ができた。きっかけは分かってる。感情ってのは、難儀だ。

ずっと言ってきたよ。好きなことを好きなようにやってほしい。それが一番で、今でもそう思っている。先にある壁を乗り越える必要があって、私にもなにかできることがあるのなら、全力でなんとかしてやろうと思う。でも、好きっていう感情は、とても難儀で。

 

比べなくてもいいのにって思って、結局いちばん比べているのは私だ。

歌も踊りも何もかも、まっすぐ見れないのは私だ。

どうしてだろう、すごく好きなのに。どうしてこんなにくすぶっているんだろう。ずっと分からない。原因は分かっているけど、それはどうすることもできないことで。分かってる。

もうあの頃のふたりはいない。そんなの当たり前で、もしいたら、なにも成長していないことになるし。

ふたりの中で生きているけど、たぶん、もう、私は見れないんだろう。

これ以上害悪にならないように、そっと去ってやろうか、

 

 

 

な~~~~~んて、思っていたよ!!!!!

へい!!!!!涙拭け!!!!!

もうDay1見なくていいかなでもぶいろく兄さんいるから見るんだろうなとか一瞬でも思っちゃった自分ばーーーーーーーーー……っか!!!!!

ばーーーーーーーか!!!!!!

JWHLwithYOU、櫻井さんのソロダン

おう!!!!!私!!!!!おはよう!!!!!反省しろ!!!!!

そんでよかったな!!!!!枕びしょびしょだな!!!!!

そりゃまんまではないけどさ!!!!!やっぱサイコーーーーだぜ!!!!!

5×20の大野さんソロダンスといい!!!!!

はわわ~~~~~好き~~~~~~!!!!!!

だからやまがすき~~~~~~~!!!!!

曲げないふたりが~~~~~~!!!!!

すき~~~~~~!!!!!

愛・愛らぶゆ~~~~あいに~~~~じゅ~~~~!!!!! 

 

 

はっはっは、

はぁ落ち着こ

 

でもね、ごめん、やっぱり、彼らとの2019年と今年の頭を振り返ったとき、一番最初に思い浮かんだ感情は「疲れた」だったんだよ。まあ、彼らに対して、というよりは、周囲の反応に対して、だと思っているけれど。

すごいわぁ!やったね!いいやん!って手を叩いて喜びながら、ずっと痛い、疲れたって思ってた。痛いの、手なのか、心なのかは、もうわからん。たぶん、溜まり続けてきた小さな感情たちが、ついに、こんなタイミングで、溢れた。

自分の中にいる彼らと現実の彼らの間にあるズレを少しずつ修正していくのはさみしい。とっても痛い。もちろん新たな発見があったり、楽しさやよろこびもあるんだけど、さ。

私もまだまだ、ずっと見ないようにしてきた箱なんてそのまま無視して、夢、見続けていたかったんだなって。

あの頃のままなんて不可能だし。いい意味で成熟して、また違う良さがあって。でも、まだまだできるでしょって私の中のあの頃の彼らは言っている。 「今を生きてるアニキが好き」それもわかるんだよ、どれもわかる。今を生きている、わかってる!……そんなことを、FDを見て思った。

いつも「付かず離れず」だった私が、ぐっと寄った2018-19年。好きを通り越して盲目になっちゃったかもしれない年。母からずっと警鐘を鳴らされていた、ようやくその意味が。

 

 

 

 

この半年、何してたっけ。何に心揺さぶられた?何にときめいた?何に胸を躍らせた?

いろいろあったな。いろいろでまとめちゃいけないくらい。

嬉しいことも楽しいことも面白いことも悔しいことも泣くこともモヤモヤすることもあって、全部全部トイレに流して。感情を無にして働いて。

いくつもの現場がなくなって。先が見えなくて。

本当に考えたんだよ、いい機会じゃんって。これでやっとわたしも普通の20代になって30歳迎えられるね、ジャニオタ辞められるねって。

でもさ、ぐちゃぐちゃになるまで働いて、ちょっと一息ついたときに後輩が言うんだよ、「先輩、昨日のYouTube見ました?」「先輩、疲れたときのジャニーズ、マジでアドレナリンっすよ!」「先輩!先輩の最近のジャニーズ話聞かせてください」「先輩、一緒に(少年たち)見てくださったお礼です(花束)」って。

 

先輩先輩うるせ~~~~~!!!!!

なんだよ花束って~~~~~!!!!!

わけわからん~~~~~!!!!!

 

って……

ツッコんだりブツブツ言いながら、でもなんだかんだちゃんと見て感想伝えちゃうのが私で、確かにアドレナリンやなぁ~なんて思っちゃったり、自分が見たものとか聴いたものとか読んだものとかグッズとか番組とか今までの現場のこととか話し(宣伝し)ちゃったり、なんて。そんなことしてたらさ、意外と仕事も「しゃ~~~~ね~~~~な~~~~~あいつらのためだもんな~~~~~」なんて頑張れちゃったり。

そんなことがさ、後輩だけじゃなくて先輩もさ、一緒に混ざって話を聞いてくださったり、2日振りに会った瞬間に「会えた!!!!!やっと会えた!!!!!話したいことがある!!!!!」ってその日の休憩中ずっと深澤くんの歌声の魅力について熱弁してくださったりさ。

相互さんとは、これどうぞこれもどうぞって沼落とし合ったり、報告し合ったり、推しの話聞いたり、電話したり……、何気ない会話してみたり、イラスト拝見したり、番組の感想ツイ読んだり……。

姉が突然「ヤバい……、井上瑞稀くん……」っていう連絡を寄こしてきたり、6時間も互いの推しについて語ってみたり、母が高橋くんの男らしさにビビっていたり、弟が……弟はちょっと何してるんだろうな、アイツ……あ、UTAGE見返してたわ。

そんな存在のせい……おかげで、私のジャニオタライフはそりゃ途切れるわけもなく、一瞬でも辞められるななんて思った自分どこぞ?夢?って首を傾げるくらいにこうして続いており、なんなら新たな扉が開いちゃったりもして(あれはわたし悪くない。選曲が良すぎるのがいけない。)、ぐるっとまわって、今。

 

なんとなく、いい距離に落ち着いたと思っているよ。めちゃめちゃ精神安定しているよ。

 

どうなるもんかなと思ってちょっとドキドキ?ハラハラ?した時もあったけれど、意外と、純粋に、彼らを見て楽しめている私がいるよ。ある程度情報カットしていたりもするけれど。それでもめっちゃスキじゃん!え!わあ!ってなっている私がいるよ。それは1-2年前の私からすると寂しいことなのかもしれないし、単推し全力応援の誰かからしたら腹立たしいことなのかもしれないけど。でもね、呟いていないだけで、超見てるし超聴いてるしいろいろ叫んでるし喜んでるよ、呟いていないけどね。今は自分で楽しんで、それでおなかいっぱいになれるんだよね。あまりにも感情を揺さぶられた結果、もう何がきても親戚のおっちゃんテンションで「おお!そうきたか!おうおう!わかった!」ってなるよ、今!受け取りたいことだけありがたく受け取る、ある意味お花になっているよ!(ちなみに2014年くらいもこのくらいの距離感だったよ!)

そういえば私は木だから、一回火がつくとこの身すべて炭になるまで燃え続けるんだったわ!だからもう、エターナルだな!!!!!(自分でも何言ってるんだかさっぱりですな)

(というかこっちの垢で呟いていなかっただけで他GのことJrのこと別垢でつぶやいていたし……ほぼかけもちというか……事務所担というか……まあ、ね、そんな情報あったってねぇ?素性は隠してなんぼ……でしょ? ……「は?」)

 

 

 

てことで、 以上が質問箱の回答になります。お~~~い、読んでくれたか質問主?!

でも、ここ1年くらいのTwitter振り返ってみたら確かにこりゃあ「担降りしたんですか?」って聞きたくなるような呟きの数々だな……!!!気持ちわかる。わか~~~るわかるよ君の気持ち。

 

ごめんね、担降りしていなくて。ごめんね、なんだかんだじゃに~ずが好きで。こんな奴が嵐のこと好きで。

 

 

 

選んだ道が間違いじゃなかったって証明しようと、納得させようと、あるいは成るように成れと、なにかを掛けて、ときに縋って、全力で走って、汗かいて。その頑張りが空回りして転ぶこともあって、そんな仲間の手を引いて立ち上がらせる仲間もいれば、じっと見つめるだけの仲間もいたり、手を借りず自分で立ち上がる仲間もいたり、道草したり逆走したりする仲間もいて。不思議なもので、ちょっとしたことが、ちょっとしたやりとりが、目線が、仕草が、ひどく輝いて見えて、なんだかんだ愛おしい。ひとの人生の一部を見て、こんなにも心が震えている自分がいる。

応援したい子がたくさんいて、もっとはやくこの子たちを知れたらよかったな、とか、いやあそこですれ違ってたやん!なんでその時その魅力に気づかんかった?!って思うことなんてしょっちゅう、ある。そう、縁。

縁あって、気づけばそこにジャニーズがいて、親とジャニーズに育てられた。もちろんメディアを通して、だけれど。

 

困ったね、そんなかんじで、根っこからジャニーズが好きなんだ。よくわからない、何も見えない、いろんな思惑が渦巻く暗澹たる世界。分かってる。それでも光を掴もうと全力になる人が、好きだ。

大野智櫻井翔が好きで、嵐が好きだ。あの頃、毎公演終わるたび泣いていたり、まるで明日解散するような挨拶をしたり、何かに必死になっている姿を、そのままステージで見せてくれることはもうないけれど。なんなら片割れなんてあの頃からのらりくらりって感じで……、うん、でも、泣いてたもんな。

 

あの時はあの時。こんなことあったねって懐かしむことができている、今。またいつか、この今を、こんなこともあったねって懐かしめるように。私だけでなく、彼らが、全力で走っている子たちが、そう懐かしめるように。今を、楽しんで、笑って、たまに泣いたりして、走っていてくれたらそれだけで嬉しい。いまそこで、そうありたいと決めた場所で、笑っていられますように。

 

 

 

見ることしかできない、でも、見ることはできる。見ているよ、ありがとう。